【毒親にならないために】「自分は育児に向いてない」くらいがちょうど良いのかもしれない。

毒親になったらどうしよう…という不安

先日、習い事に関する記事を書いて下書き保存中だったのですが、結局公開をためらってしまいました。

なぜなら、

「自分は習い事をしていなかったので、子どもにも何かさせたい」

といった私の熱い思いを書いた内容で、何だか毒親臭を感じたからです。

自分ができなかったから、子どもには…

といったあたりが・・・。

そもそも、私は子どもや子育て、教育云々に対する思いが強すぎる節があります。

その根底には、自分はこうだったから、子どもにはそういう思いはして欲しくない・・・といった思いや、自分のような人にならないためにはどうすれば良いのか?といった問題意識があったりします。

(ここらへんについても機会があれば書きたいところですが。。)

子どものことをちゃんと考えて、しっかり向き合っていくことは決して悪いことではありません。

でも、私の場合はその思いが強すぎて、過干渉で子どもにとって鬱陶しい「毒親」になってしまうのではないか…

そもそも、「自分がこうだったから、子どもには・・・」と願っている時点で、子どもに自分の夢を託そうとする悪い親なのかも?

そんな不安を抱くことが、なきにしもあらずです。

「育児・子育ては向いていない」というくらいでちょうど良いのかもしれない

ところで、これまで、他のブロガーさんの育児ブログやら何やらでは、

「育児を辛いと感じる自分は、育児に向いていない」

といったことが書かれているのを目にする機会が多々ありました。

その多くが、自分はダメな母親である、というニュアンスで書かれているのです。

でも、本当にそうなのでしょうか。

育児が辛いのは、(親が)何者にも脅かされたくない自分の世界をしっかり持っているからこそ、という考えはできないでしょうか?

そういう親は、子どもの人生を支配することなく、子育てを全うすることができるかもしれません。

だって、子どもを生きがいにしていないし、しっかり自分の人生を生きているから。

一方、育児がそこまで苦ではない私には、自分の世界がないのかもしれません。
お出かけを増やしたいのも、自分のためではなく、子どものためです。

子どもを生きがいにしてしまっているのかな?

そんなことを考えていると、子どもの人生を支配しない健全な親になるためには、「私、育児・子育て向いてないな~」くらいの方が、調度良いんじゃないか、なんて考えてしまうのでした。

私の育児・子育ての課題は。

私の場合は、子どもや子育て、教育云々に関心があるので、最近は本も読むようになったし、こうして育児ブログもやっています。

(本当は、脱・育児ブログしたかったけど、できていない(^_^;))

せっかくの興味・関心や問題意識を、無碍にしたくはないです・・・。

だからこれからも、できるだけ考えていきたい。

それが、答えのないことだったとしても・・・。

ただ一方で、子どもに関心がありすぎて、子どもの人生を支配するような、子どもにとって鬱陶しい毒親には絶対になりたくないです。

子どもに関心は持ちつつも、きちんと自分の世界を持って、子どもとの健全なかかわりができる親になること・・・それが、私の育児・子育ての課題なのかもしれません。

「毒親にならないために」

また1つ、考えることが増えてしまった・・・。(^◇^;)

あ、冒頭の習い事の記事ですが、気が変わったら公開することがあるかもしれませんし、毒親臭を多少消した形で公開するかもしれません・・・せっかく書いたので(悩み中)。

お読みいただきありがとうございました・・・

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