この記事は、下記の記事の続編です。
前回の記事では、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』著者の安藤寿康氏の主張と、読んで感じたことなどについて書きました。
本記事では、能力は遺伝で決まるなら、子育て・教育は無意味なのか?ということについて、著者の見解をご紹介しながら、考えていきたいと思います。
子育て・教育は無意味なのか?〜著者の見解
さて、本書では、行動遺伝学の知見によると、知能や性格、様々な分野における才能には、遺伝が無視できないほど大きく影響している、ということが書かれていました。
そして、どんな親かということは、子どもの個人差にはほとんど影響がない、と。
結局重要なのは、どんな親か?どんな家庭か?ではなく、1人1人がどんな個性・能力(遺伝的素質)を持ち、どんな固有の経験をしたか?となるわけです。(親は関係ない)
では、家庭における子育てや教育は、無意味なんでしょうか…?
これについては、著者は下記のように記しています。
大事なのは、子育て本のパターン通りに誰にでもあてはまる教科書のようなかかわりをするのではなく、自分が経て来た経験に根差す価値観に基づいて、子どもの中にある形質を見つけるように努力することだ
本書によると、遺伝的な形質や素養は、12歳から20歳までの間に何らかの形を取り始めるそうです。
そして、その時期に、知識を得たり、誰かと知り合ったりと様々な体験をすることで、遺伝的な形質は能力として発現することになるとのこと。
だから、その時期に親が
自分の経験や知識を総動員して、どんなことに向いているかを真剣に考えてあげる。ある分野に通じた人に子どもを会わせたり、いろんな体験をさせたりして、社会的・文化的に価値あると親が考える刺激を与えるといったことが大事
とのことです。
また、著者は、こうも書いています。
教育とは白紙に絵をかきこむことではなく、もともと内在する資質をあぶりださせ、適切な方向付けをすることなのだ
資質をあぶりださせ…ですか。
以前読んだ下記の本では、能力を「引き出す」ということについて書かれていたことを思い出しました。
資質をあぶりだす…
能力を引き出す…
まぁ、同じことですかね。
もともと持っている能力を引き出すのが、教育。
だから、能力は遺伝で決まっていたとしても、教育は無意味ではないということを著者は伝えたかったようです。
考えたこと
これが好き!
これに興味がある!
将来、こういう仕事がやりたい!
子どもがそう思っても、その思いを何らかの形にして、行動に移すのは難しいことです。
モヤモヤっとしたままその思いをどこかに置いていってしまうことだってあり得ます。
それに、自分が好きなこと、得意なことに気づくことさえ難しかったりします。
だから、親が子どもの特性を理解して、子どもに自分が好きなこと、得意なことに気づかせてあげられるようにサポートすること。
そして、好きなこと、得意なことが見つかったら、その能力を最大限発揮できるようにサポートすること。
そういった、子どもが自分の個性・能力を生かして、自分らしく生きていくために必要なサポートをすることが、あるべき教育のあり方ということになるのでしょうか?
それが教育の本質なのかはまだ分かりませんが、今のところは、大切なポイントとして理解しておきたいと思います。
ガッツリ教育の本でした
本日は、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』の内容を踏まえて、子育て・教育は無意味なのだろうか?ということについて書きました。
ところで、この本。
遺伝にまつわる娯楽的な本なのかな~と思ったら、思いのほかガッツリ教育の話でした!
おかげで読むのにも記事を書くのにも大変な時間がかかってしまいました(;_;)
でも、著者の問題意識と私のそれは多分似ていました。
(教授と問題意識が似ているなんて、身の程知らずですみませんという感じですが。)
自分が気になっていたことについて、考えを深めることができた点は良かったです。
何だかまだまだ理解不足で消化不良感があるので、これに関連する記事をまた書けたら良いなーなんて思います。
前回から引き続きお堅い話でしたが、おつきあい下さった方はありがとうございました。