家事分担。夫との意識の差を感じる日々。
家事分担については、これまでいくつも記事を書いてきたように思います。
前回書いた記事では、夫が前より家事をやってくれるようになったので良かった!という内容だったと思います。
確かに、夫は最初に比べたらだいぶ家事をやるようになりました。
食器の片付けとか、ゴミ出しとか、炊飯予約とか、保育園の送りとか、何もしていなかった頃に比べると夫の仕事は増えました。
ですが、最近は、家事をするにあたり、夫との意識の差を感じる日々です。特に、休日!
というのが、
私は常に家事育児優先で動いていて、休む暇がないのに、夫は自分優先で、決まった家事、かなり限定された家事しかしないからです。
暇さえあれば、ソファーに座ってスマホいじりやら何やらかんやら、です。
一方の私は、常に、次は何の家事をしようかと考えながら動いているわけです。
夫が昼食にラーメンなどを作るときは、私は必ず同時並行で洗い物をし、皿を用意するなど準備と片付けをします。
でも、私がキッチンに立っていても、夫はそういうことはしません。当然に。
違い過ぎる!!
生物学的な差なの?
なんでこんなに男は動かないのか?
結構前に、「男は生物学的に怠け者だからだ」という結論に達し、そういう内容の感情的な記事を書いたことがありましたが、恥ずかしくなって削除してしまいました。
でも、私は今、冷静に、この女と男の行動の差は、生物学的な差もあるのではないかと思っています。
もちろん、社会的な差である面もあるとは思います。
でも、それだけでは説明ができないと言うか、生物学的に、メスには子どもを産み育てる役目があって、夫婦で力を合わせて子育てする生物もいるかもしれないけど、メスだけで行う生物もいる(メスは常に子どものことを考え、世話をする)、オスは子孫繁栄のために自分の生理的欲求を優先するということを考えると、やっぱり生物学的な差が家事育児に取り組む際の男女の意識の差に繋がっているのではないかと考えてしまうのです。
⤴︎生物学に詳しくないので、間違っていることがあったらすみません。
だから、男の意識の低さにイライラしても、そういう生物なんだから仕方ないのかなとか思うんです。
生物学的な差異のせいにしちゃうと、すごく納得できるというか、割り切れるというか。
男女の意識の差を、生物学的要因と社会的要因によって生じていることを理解した上で、社会的・教育的アプローチで埋めていく努力をしていけば良いのではなかろうかと思うのでした。
改善策
というわけで、私は、夫が自分優先なのは仕方がないことだと割り切っています。
その自分優先ぶりが、大変興味深くもあるのです。
その上で、やはり動けるようになってもらわないといけないな、と。
とりあえずやることとしては、夫の仕事を増やしていくということ。
休日は、階段の掃除、2階の掃除、洗面台の掃除、脱衣所の掃除、玄関の掃除を追加でやってもらおうと思います。
いつも、私がやりたいと思いながらなかなかできていないことです。(恥ずかしながら、やり忘れて・やりきれなくてできない週も多々あります)
よく考えたら、私じゃなくても良いわけですよね、やるの。
夫の仕事としてリスト化して、やってもらおうと思います。
自分の仕事として認識した仕事はやってくれるので、きっとやってくれると思います。
こうやって、夫の仕事を少しずつ増やしていくしかないのかなと。
なんでそこまでしないといけないのかという気持ちにもなりますが、それこそ、「仕方がない」「そういう生物だから教育していくしかない」といったところでしょうか。
そして父親が家事をする姿を見て、息子には当然に家事をする大人に育って欲しいと思うのでした。